コーヒー禁止令

コーヒー禁止令とは

当初イスラムでの宗教的な秘薬だったコーヒーは、13世紀以降嗜好品として一般民衆にも広まっていきました。正式に一般民衆の飲用が認められてからは、中東・イスラム世界全域からエジプトまで広がりました。
1511年、イスラエルのメッカで大騒動が起きます。メッカの総督カイル・ベイが「コーヒー禁止令」を出したのです。
カイル・ベイは厳格なイスラム教徒でした。彼は、神聖な飲み物であったものが、信仰とは関係のないところで一般民衆に広がっていくのを苦々しく感じてました。そして「コーヒーという飲み物は、人々を堕落させる悪い飲み物である」と「コーヒー禁止令」を出したのです。
アラブの医師たちはこれに反対しましたが、総督の考えは変わりません。しかしこのことが、メッカの支配者であるエジプトの君主、カーンサウフに伝わりました。大のコーヒー好きであったカーンサウフはこれを嘆きメッカに使者を送りました。禁止令は撤回され、総督やその周りの者達は処罰されたといいます。「メッカ事件」と呼ばれる出来事です。
その後コーヒーはヨーロッパでも熱烈に受け入れられ、ドイツには1670年ごろ伝わったといわれています。当初は上流階級の人々が飲むものとして贅沢品のように扱われていましたが、1700年ごろから一般にも普及しました。
当時はプロシアと呼ばれ、七年戦争で勝利したものの土地は荒廃していました。厳しい経済を立て直すために様々な政策を行なうも、海外への資金流出に悩まされていました。
原因は、歯止めが利かないコーヒー消費量の増加です。生豆の購入には多額の外貨が必要です。政策を行なうものの消費量はなかなか落ちず、遂に「コーヒー禁止令」を出す事態に発展しました。再び、貴族や司祭などの上流階級のみが楽しむものになったのです。
しかし魅力にはまってしまった民衆には、とても我慢できるものではありませんでした。禁止令は二十年近く続いたといわれていますが、このあいだ麦など様々な物を原料に、似た飲み物が考え出されました。


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